謙虚で、かつ懐疑的であることって必要じゃない?

さてさて。
正月がつい先日のように、毎日が矢の如く。。。。

先日もクラス前の話をしたと思いますが、先生が以前こんなことを言っていました

練習時間にAdhom Mukha Vrksasana(full arm balance)をしている生徒をグルジが見て、グルジがその人を押した事がある。
その時にその生徒はバタッと倒れる。
そして、グルジは「5分立てるなら練習しろ。さもなければ、もっと必要な練習があるはずだ‼」と助言された。
僕の記憶力なので、正確な文言は別としてニュアンスはこんな感じです。
グルジが何を伝えたかったのか?皆の前でそんな大技(この内容的に)を見せるためにやるのか?自分の為にやっているのか?の違い、そして練習するならここで学んだことを行えと。

上記のような話は頻繁にしてると思います。
僕もその傾向があるからこそ、皆が見える時があります。
いつも来てる人は、今までのことを理解してTadasanaから練習する人、ブリックに乗る人等々、とてもじゃないけど地味な練習を繰り返し、僕に幸せとエネルギーをくれます。

先日は僕のボヤキが出てしまったわけだけど。
教室の開放時間、そしてクラス前の練習時間に皆が何かをしてるのだけど。
その中で、、、他のスタジオでやってるから仕方ないのかもしれないけど、柔軟性のみに頼り大きく見せようとするASANA、そして健康体操的な動きを練習する。
アライメントもグチャグチャやんけ。 そんなん、いつkayaでやった‼⁇
グルジの本からの引用、先生の話を伝えている僕の話を聞いてましたか?
その姿を見て何も伝わってなかったと、愕然としました。

自身の練習だからこそ、懐疑的にならないといけない。
何も疑問に感じないならば、それはそれで良いのか?分かっているのか?
あるいは、分からないことを分かってないのかも。
それに気が付いた時に、どれだけ恥ずかしいか。
井の中の蛙大海を知らず とは、まさにこのことになるで。

以前、インドに行ったときにスリランカの友達に、「この講義は、どこまでわかっているんだ?」と聞かれたことがある。
僕は、I understand i don't understand it.と言ったら、 友達は周りを巻き込んで笑ってたけど。
まぁ、無理もないわな。
でも、決してI don't want to understand it.ではない。
だから分からないなりに勉強し、日本に帰ってから思い返すようにその事が少しでも分かるようになっていた。

懐疑的にならなければ、I don't want to understand it.ではないだろうか?
カラダの柔軟性だけでなく、頭も柔軟にせな。

本人が気が付くかわからないけど、僕からのプレゼントはこれ、いつも謙虚に励んでください。
キッチンとした練習をせずに伝えることはできません。

どこで見たんだっけ?南インドなのは確かだけど。。。
カメラがしょぼい時代だったから、微妙ですが。
結構な高さと大きさだった建物、上に観覧車らしきものが載ってるのです。

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by studio_kaya | 2016-04-10 21:31 | つれ | Comments(0)